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糸魚川大火災で1軒残った家 [建設関連ニュース]

新潟県糸魚川市中心部の大火発生から1週間を迎えた29日、市は生活再建に向けた支援金などの配布を開始。市役所近くに置かれたボランティアセンターを前線基地に、地元の工場に勤める会社員らによるボランティア活動も本格化した。一方、同所では、焼け野原の中にほぼ無傷で残った2階建ての一軒家が「奇跡の木造住宅」として注目を集めている。家主が「丈夫な家をつくってほしい」と地元工務店に頼んで建てた特別仕様だったことが効果を発揮したという。12/29 産経

糸魚川大火災で1軒残った家.png

前のブログでは大火災となった要因についてコメントしたが、まさか「奇跡の木造住宅」があったとはその時は知らなかった。この家については新聞以外にTVでも報道されていた。報道されている内容だけであるが、奇跡的に残った要因は次のとおりである。

1. 外壁はステンレス板や耐火レンガ貼などの不燃材であった
2. 屋根もステンレス板や瓦などの不燃材であった
3. 窓ガラスはペアガラスで、外側は網入りガラスであった
4. 隣地とは4m程度離れ、又、公園にも面していた
5. 軒先は殆ど出ていないデザインであった(軒天がない)

こうして要因を並べてみると、これら全てが揃っていたからこそ延焼を免れたと考えられる。例えば外壁が不燃材とはいえ、もし隣家が近ければ炎が当たる時間が長くなって、外壁材の下地が木であれば燃えた可能性がある。

又、窓ガラスが網入りガラスであったことは、防火地域における「延焼の恐れのある部分」では網入りガラスが義務付けられており、仕様が合致する。元々は「暴風」対策と伝えられているが、多分、「防犯」用だと思うが、どちらにしても幸いしたのである。

しかし所有者は自分だけが良ければよい、と単純には喜べないようである。やはり近くの親戚や、付き合いのある近所の家々が焼け落ちてしまった状況は悲惨である。やはり全ての方々にお見舞い申し上げる。

「奇跡の木造住宅」が復興のシンボルとなって欲しいと思うのは、筆者だけではないと思う。

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サンシャイン60-柔構造超高層の集大成 [画期的建築]

サンシャイン60は東京都豊島区に建つ超高層ビルである。地上60階、地下4階、地下SRC、地上S造、最高部239.7m、延床面積は190,595 m2で、1978年にオープンした。当時日本一の高さである。構造設計を担当したのは、武藤清の武藤構造力学研究所であった。

Sunshine_60.jpg

サンシャイン60.jpg


「柔構造超高層の集大成」とタイトルを付けたのは、武藤清による超高層ビルの魁である霞が関ビルとほぼ同じ平面を持ち、柱間隔は同じ3.2m、RCスリット耐震壁も使われていて、武藤清の考える「柔構造建物」の基本的なモデルだからである(ただし武藤清の最後の作品はメガストラクチュァの東京都庁である)。

サンシャイン60と霞が関ビルとの違いは、妻側も3.2m間隔の柱があることであり、これにより前のブログの「チューブ構造」の効果がある。又、溶接技術の向上により、柱は全てボックスとなり、強軸、弱軸は無くなった。

以上からサンシャイン60の特長は

1. チューブ構造である
2. 小梁が無く、鉄骨は全て耐震要素として使われている
3. RCスリット耐震壁により、対壁付きラーメン構造で、且つ「制震構造」とも言える
4. 事務室は実質13.5mの無柱空間で、現在でもオフィスレイアウト上自由度が高い

5. 鉄骨量は120kg/m2と現在の超高層ビルに比べ少ない
等が言えるだろう。

耐震構造は「剛構造」から「柔構造」へと進化し(勿論低層の建物は今でも剛構造である)、その究極(褒めすぎかも)と言えるのがサンシャイン60なのである。そして今や「免震構造」「制震構造」へとパラダイムシフトは続く。

それは又、サンシャイン60の長周期地震動での揺れ幅の低減の為、制震構造による補強へと続いたのである。補強を行った設計、施工者は補強箇所が建物供用部のみであり、テナントへの影響を最小に留めたとしている。筆者はチューブ構造となっていることから、建物外周の補強(事務室空間での作業を伴う)が不要だった、と考えている。

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茨城県北部で震度6弱 [大地震対策]

28日午後9時38分ごろ、茨城県北部で震度6弱の地震があった。気象庁によると、震源地は同県北部で、震源の深さは約11キロ。地震の規模はマグニチュード6.3と推定される。茨城県高萩市で震度6弱、日立市で震度5強、常陸太田市で震度5弱を観測。宮城、福島、栃木、千葉、埼玉各県でも震度4を観測した。東日本大震災の余震とみられ、気象庁は揺れが強かった地域は今後1週間程度、最大震度6弱程度の地震に注意するよう呼び掛けた。この地震による津波はなかった。

茨城県の北茨城市消防本部によると、地震の影響で北茨城市の40代女性が自宅の階段で転倒し、脚などに軽いけがを負った。政府は同日、首相官邸内の危機管理センターに官邸対策室を設置した。12/29 産経

風呂上がりで湯冷ましをしている時に地震の揺れを感じた。1階の居間だったが、震度は3と思ったが、ニュースでは4と報道されていた。少し気になったので気象庁のサイトで確認したら家は震度3であった。筆者は震度に関してはかなり実感できると思っている。

最大震度6弱となった茨城県高萩市は報道では屋根瓦が落ちる等の被害は出ていないようだ。尤も室内では家具が転倒して食器が割れたりはしていると思われるので、お見舞い申し上げる。今回の地震は内陸型であり、マグニチュード6.3と大きくはなかったが、直下の高萩市では大きく揺れたのであろう。

しかし震度6弱と言うのは私自身経験していないが、相当な揺れのはずである。被害状況でいえば

1. 立っていることが困難になる。固定していない重い家具の多くが動いたり転倒する。 開かなくなるドアが多い。
2. かなりの建物で、窓ガラスが割れたり、壁のタイルが剥がれ落ちたりする。
3. 木造:耐震性の低い住宅は倒壊するものがある。耐震性の高い住宅でも壁や柱が破損するものがある。
4. RC造:耐震性の低い建物では、壁や柱が破壊されるものがある。耐震性の高い建物でも壁、梁、柱などに大きな亀裂が生じるものがある。
5. 一部の列車が脱線する。エレベーターは機器や昇降路(シャフト)が損傷し、乗客が長時間閉じ込められることもある。

という状況を想定しているのである。以前は気象庁の担当官が自身による揺れの感じ方や、被害状況を確認して震度階決められていた。それが1996年10月1日以降は各地に震度計が整備されたことから、データを基に震度が決められている。尤も単に加速度の 大きさで決めているわけではなく、建物に多くの揺れを起こす、周期0.5~2秒の成分に重み付けし震度を決めている。

被害が少なかったのは幸甚であったが、はたして震度6弱であったのか気になるのである。このところ気象庁は地震、津波、台風、大雨等の警報の出し方を改めているが、それは教訓を生かしたとして結構なことであるが、学術研究としてはどうなのだろうか?

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KDDIビル-日本でのチューブ構造の嚆矢 [画期的建築]

新宿区西新宿に建つKDDIビルは1971年に着工し、1974年に竣工した。地上32階地下3階、建築面積2,916m2、延床面積126,621m2、最頂部高さは164.7mの超高層ビルである。特長は外壁が4面とも同じで、柱、梁が細かく配置されているのがそのままデザインとなっている。

KDDI.jpg

霞が関ビルの場合、2面の柱間隔は狭いが妻側の柱は4本しかない。一方、KDDIの外壁は4面とも柱、梁が細かく配置されている。これが「チューブ構造」なのである。チューブとは筒の意味だが、KDDIは正方形の筒状となっている。「チューブ構造」は「鳥籠状」ともいわれるが、鳥籠は細い針金が細かく編んでいて、結構強度がある。これは力が加わると、籠全体で抵抗するからである。

チューブ構造では例えばX方向の地震力を受けると、X方向の柱・梁だけで抵抗するのではなく、Y方向の柱・梁も抵抗する。それは隅柱に大きな軸力が生じることから、Y方向の梁によって軸力がY通りに流れて行くのである。KDDIはセンターコアであるが、コア部も細かく柱が配置され、ダブルチューブとなっている。

前のブログで隅柱には大きな応力が生じる(二方向地震力)ことから、隅柱を無くしてしまう例が多い、と書いたがチューブ構造は全く逆の考えである。霞が関ビルで極厚のH形鋼を造ったが、流石に隅柱には弱軸方向があっては困るので、KDDIで初めて溶接ボックス柱を造ったのである。なお「チューブ構造」はアメリカで考えられた構造形式で、有名なのはシカゴのSEARS Towerである。

SEARS Tower.jpg

X方向の地震力の地震に対して、Y方向の架構も抵抗するのは合理的である。チューブ構造は多くの超高層ビルに採用されているが、柱間隔が狭いため、室内空間が開放的でないことや、1階エントランスも狭い。このことを嫌って超高層の黎明期に比べ採用は減っている。

しかし超高層RCマンションでは今でもかなり採用されているように思う。これは梁の耐力がS造に比べて小さいからで、柱間隔が狭いと曲げモーメントが小さくなる為である。RC造で柱間隔を大きくする(と言っても6.4mくらいまで)為には、地震力の過半を負担する耐震壁が必要となる。

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芦屋浜高層住宅-メガストラクチュア [画期的建築]

建物はラーメン構造、トラス構造が基本であるが、「構造デザイナー」としては面白くないのではないだろうか?そうした構造デザイナーは新しい構造形式を考えだしていく。「メガストラクチュア」も新しい構造形式の一つである。超高層ビルで有名なのは都庁であろう。

外観を良く見ると8階ごとに窓が異なっており、その階に一層分のトラスがある。又6.4m間隔のコア柱(コア柱同士は19.2m離れている)にもブレースがあり、トラスと共に大きな「柱:高さ32m」、「梁:スパン25.6m」の構造となっている。

筆者にはメガストラクチュアというと「芦屋浜高層住宅」を思い出す。1979年、兵庫県芦屋市高浜町に建つ、鉄骨造、プレキャストコンクリート/地下1階、地上29(最も高い建物)階、総延べ床面積27万m2もある大型団地である。

芦屋浜01.jpg
芦屋浜団地

芦屋浜03.jpg

メガストラクチュア構造

この写真は阪神大震災直後に仕事で視察に行った時のものである。神戸の街の多くが被災して家や高速道路が倒壊している状況を見てきた後で、埋め立ての軟弱な地盤に建つ高層ビルは大地震に耐えていた。しかし一部の鉄骨柱が破断したこと報道で知り、確かめに来たのであった。

柱が破断した建物は数棟ですぐにわかった。こちらが作業衣にヘルメットを被っていたから調査員と勘違いされたのかもしれないが、住民の方が教えてくれたのである。建設会社による迅速な補強措置がなされ、安全性が丁寧に説明されていたからであろう。

破断した柱部分は凄まじいものであった。報道では5000ton以上の引張り力が生じたのではないかと言われていたのである。20ton位の引張試験でもかなりの破断音なので、破断を聴いた住居人はどうだったであろう。鉄骨は塑性化して粘り強い、と思い込んでいた筆者にはこのような脆性的な破断は衝撃的であった。

芦屋浜02.jpg

柱の仮設補強(隅肉溶接)、破断は柱接合溶接のすぐ上

芦屋浜04.jpg

破断部の本溶接(開先を造りレ形溶接)

破断したのは設計で想定した以上の引張力だったのが主因であるが、当時外気温は氷点下近くであって、柱は外気に露出していたのも要因(低温脆性)と考えられている。又、柱接合の溶接部近くで破断していることから、溶接による熱影響も考えられる。

しかし1000(500?)年に一度の地震に倒壊せず、しかも多くの住民は避難しないで住んでいられたのである。今も芦屋浜に住宅群は聳えている。

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茨城産業会館-ハット梁構造 [画期的建築]

水戸駅の南口から近くにある茨城産業会館は1979年竣工した。地上14階建ての建物で、基準階は24m×24mの平面である。設計者はうろ覚えだが大高正人(代表作ではないので記録が無い)で、構造設計者は木村俊彦である。

茨城県産業会館.jpg

37年前の建物であるが、「飽きが来ない」というか、周りの緑にマッチしたデザインと言えるだろう。特長としては屋上に屋根があることである。最近でも屋根がある高層マンションを見かけるが、あれはデザインであるが建物近くでは見えない。

茨城産業会館の屋根は鉄骨のトラスになっており、「ハット梁」とよばれる建物の主要構造になっている。建物平面はセンターコアで、中央にエレベーターや避難階段、トイレ等があるが、それらをC形の鉄骨鉄筋コンクリートの耐震壁で囲っている。

そして耐震壁は屋根トラスト接合されている。つまり鉄骨トラスに繋げるために、耐震壁は鉄骨鉄筋コンクリートとしたのである。施工的にはRC壁の中に鉄骨、それもブレース状に入っているのはコンクリートの充填性から問題であった。

この屋根トラスは平面的には「井形」で外周まで伸びており、通常は柱と接合させるが、木村俊彦は梁に「ピン接合」とさせたのである。柱に接合すると、その柱だけがサイズが大きくなりすぎるからである。筆者が茨城産業会館の構造を知っているのは、現場の所長が鉄骨建て方計画を相談しに来て、筆者は脇で見ていたのであった。

所長はこの構造はおかしいと思ったそうで、木村俊彦から構造計算書を借りて設計部に診てもらう事になった。しかし計算書を見た設計部のベテランはその高度な考えに脱帽したそうである。しかし施工的には建て方順序や、仮設ワイヤーの張り方など注意が必要となった。

高層ビルでも中央にブレースを配している構造計画は一般である。ブレースは耐震壁の様なものなのだが、地震時には背の高い「片持ち梁」として抵抗する。しかし屋上にハット梁があると、「ヨ」の字を横にしたようなモデルとなり、つまり外周の柱(梁)が突っかえ棒(アウトリガー)のようになる。

こうすることによって、コアの耐震壁に生じる曲げ応力が大幅に低減されるのである。センターに耐震壁、屋上にハット梁で「制震構造」にしたのが「スーパーRCフレーム構法」である。例えば2009年竣工の「The Kitahama」は54階、高さ209mのマンションであるが、屋上に6mの成がある巨大な梁がコアの耐震壁から外周フレームに結ばれ、そこに制震ダンパーが付けてある。

The Kitahama.jpg

「ハット」梁は木村俊彦の独創ではない(米国)が、地震力に抵抗するための構造形式に用いたのは嚆矢であろう。

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超高層ビルにおける隅柱-日本長期信用銀行ビルの行く末 [建物の構造]

前のブログ「超高層ビルにおける隅柱-隅柱を無くすのはデザインなのか?」を書いていて思い出したのが、ヤジロベエ(弥次郎兵衛)のような高層ビル、日本長期信用銀行ビルのことであった。延床面積:60,281 m2、地上22階地下5階、高さ130mで1993年に竣工した。竣工当時は大胆な構造デザインが話題となった。

新生銀行本店ビル.jpg

その後日本長期信用銀行はバブル時の債務返済が叶わず、新生銀行になり、2010年には銀行は移転し、東急不動産等に土地建物は売却された。そして2013年に解体され、新たに事務所ビルの建設となっていた。

1993年に竣工と言うのはバブルの時の建物(建設業はタイムラグがある)であり、デザインを競い合うような建物が多かった。その中でも日本長期信用銀行ビルはかなり際立っていたのである。建物の両側が約20mも跳ね出しており、不安感に対しては土木の橋の様な梁が下部と最上階にそのまま外装のデザインとなっていて安定感を感じさせる、という設計者の意図であろう。重力は建物の設計において最も「基本的な荷重」である。

しかし筆者には違和感があった。それは前にも書いたが、江戸東京博物館は屋根ではあるが40mもの片持ちとなっている。地震時の上下動だけでなく、建物の長手方向の水平力で建物本体の変形が、片持ちの先端では大きく変位することになり、なんと上下方向に最大2G(19.6m/sec2)が生じると予測されたのである。

もし人が立っていれば、仮に2Gが1秒間作用したとすれば天井に向かって19.2m飛びあがってしまう。又、江戸東京博物館は貴重な展示物が多く、中地震でも展示品が飛散してしまうのである。その為、床は電車に使われている空気ばねで支持されているのである。

筆者の違和感はまさにこのことで、もし大地震が起きたら、約20mも跳ね出している部分はどのようなことになるのだろうと。大地震ではなくとも、例えば東日本大地震時には東京でも震度Ⅴであったから、もし営業していたならばどのようであったろうか、まだ、解体されてはいなかったので、誰か知っているのではないだろうか?或いは地震計があったかもしれない。

又、低層階は高層階の60%程度の面積である。地震ははあらゆる方向に振動するから、この建物は平面的にも捩れ運動をするのではないか?特に東日本大地震は東京において長周期地震動であったから、片持ち先端に実際に人がいたらどのような恐怖を抱いたのだろう。

まだ23年しか経っていないこの建物は、機能的に現代にマッチしていない、とは思われない。取得した東急不動産等が解体し、新たなビルを建てる理由の一つには「レンタブル比」を上げることがあるかもしれないが、筆者には構造的な原因があったと思うのである。なお新しいビルは建築主との繋がりがあるのだろうが、設計者、施工者共に代わっている。

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魚川市の大火-危険はどの街にもある [建設関連ニュース]

新潟県糸魚川市の中心部の大火から一夜明けた23日午前、県警と地元消防は、火元となった同市大町1丁目の中国料理店などを実況見分した。消防は、最終的な鎮火に向けて消火活動を続けた。

市は23日午前8時現在、延焼は約150棟、約4万平方メートルに及んだとみられると発表。新たに消防団員3人のけがが確認され、けが人は住人2人を含め計8人になった。市は約360世帯、約740人に避難勧告を出しており、鎮火後に勧告を解除する方針。23日朝の時点で、市内3カ所に計40人以上が避難している。12/23 産経

年の瀬も迫った22日午前10時半ごろ中国料理店の空炊き鍋から出火した。おりしも山から日本海側に吹き下ろした強風(フェーン現象)にあおられ、火の粉ではなく、燃えた木材が飛散して20年来(地震を除く)の大火となってしまった。

消防署の見解では、20m/secを超す強風、密集した家屋、消火活動編成が足りなかった、等が大火となった原因と発表している。グーグルマップを見るとこの地区は7~8m幅の道路によって、およそ60×70mに区画されている。そして区画の中は4mに満たない狭小な道路(おそらく私道)となっていた。

又、グーグルのストリートビューを見ると、古い家屋が多く、多くはモルタル塗りの外壁ではあるが、軒先の「破風板:はぶいた」は木であり、ここから火の粉から燃え移って屋根を内側から炎上させたように思える。

又外壁はモルタル塗りと言っても、厚さはおそらく15mm程度であるから耐火材としては不十分で、外側から炎が当たれば10分位でモルタルの内側の木材は260度(木材発火点温度)以上となって燃えてしまうだろう。

この地区は「防火地域」少なくとも「準防火地域」と思われるが、だとすれば普通の木造建築(外壁を耐火構造とし、窓は防火戸とするなどはされていない)は建てられないはずである。おそらく「防火地区」の指定の前に建てられた建物なのであろう。

大地震は別にして、災害は多くの要因(悪条件)が重なって大災害となってしまう。糸魚川の大火災で被災された方々にはお見舞い申し上げるとともに、私たちはこのことを教訓に街つくりをしなければならない。国土強靭化の重要なテーマである。

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梅干造り-会社員の頃の思い出 [ガーデニング]

6月になると梅干の事が気に掛ってくるのは、もう珍しいことかもしれない。梅が大きく、そして青い色から黄色く色付いてくると、梅雨の季節である。小学校一年生の時の担任の女の先生が、自分の小さい娘が庭の梅の木にたくさん実が付いたので取って食べ、大変な目に遭った話をしてくれた。「梅は青いままを食べると、ものすごい腹痛、下痢になるんだよ」と教えてくれたのを今でもよく覚えている。

だから、梅は梅干か梅酒にするわけだが、梅酒は実家で何度か造っていたのを見ていたから、結婚して何年か造り続けた事がある。しかし、梅干は造った事がなかった。理由は簡単で、特に梅干を食べる習慣が無かったからである。それが、ひょんなことから造る事となった。息子が中学に進み、毎日弁当を持っていくことになったのである。弁当に梅干は付き物である。

梅干の効用はよくいわれるところで、殺菌作用とか疲れが取れる、整腸効果などであり、毎朝食べる人も多いが、定番はやはり弁当である。息子は梅干を嫌いではなかったので、毎日入れる事になった。需要が出来たのである。一方、僕には梅干に関する知識が少しあった。曰く、最近の梅干は化学調味料漬けである、塩分を気にして殺菌作用が薄れ、日持ちしない等で総じてよくない。一方、昔からの梅干は店にあまり置いてなく、あっても高い。

ということから自分で造る事にした。実益が主で趣味が従である。作り方は簡単といえば簡単である。塩(梅の2割の重量)に漬けるだけ、という調子に書いてあった本をいい加減に解釈し造ったら、食べられなくはなかったが、皮が堅いのである。軽く考えたのがまずかった。漬け方は悪くなかったのだが、3週間後位に3日間、日干することを疎んじたのである。

水上勉の「土を喰う」に梅干の事が書いてあって、寺で修業していた時、禅師に日干夜干によって皮が柔らかくなる、と教えられたとある。そうだった3日間は干してなかった。梅雨の時期であり、いつ時雨れるか、あるいは適当な笊がないので、そーめんの笊や、野菜の水切り用など総動員しての日干し(夜干はさすがに無理である)だから面倒だったのである。

いったん固く漬かってしまった梅干はもう柔らかくなることはなかった。この梅干は2年後に僕自身も弁当を使う(古い言い方でしょ)ようになって、毎日食べた。毎日後悔した。自業自得であり修業になった、本当。 人生に間違いは付き物である。問題は間違ったときの態度である。挫ける、泣く、あたる、忘れる、人のせいにする、などをよく見掛けるが、勿論僕はその類いではない。同じ間違いは2度と繰り返さない。その結果が今の僕なのである。もっとも取り返しの付かない間違いの場合もあったが、この話はやめよう。

真面目にやるしかない、とにかく、大きい笊を買う事にした。60cmで600円。安い。不当、というか信じがたい。幾らの手間賃になるのだろう。中国製?もっともこの笊は梅干以外には家では使い道がなく、362日は壁飾りになっている。

梅干は淡い赤がお馴染みである。色は赤紫蘇で付ける。この赤紫蘇は流行りが短く、7月になったら、ちょくちょく赤紫蘇が店頭に並んでないかチェックする必要がある。ちょっと目を離すともう無くなってしまうか、あるいは情けないような紫蘇しか残っていない。紫蘇はかなりの分量が必要なので大変なのだ。

そんな赤紫蘇なので、家の近く、通勤の歩いていく道の傍らに赤紫蘇が4、5本繁茂しているのを見つけた時には狂喜した。つぎの休みにさっそく取りにいこうとしたのが拙かった。見つけたものはすぐ取らなくてはいけない。なんとこの道路が拡幅のため道路脇を約2m掘り起こされてしまったのである。

取りそこねた赤紫蘇は見事なものだった。あれだけの分量があれば家でつくる梅干には余るくらいだった。色も深い紫だった。きっと香りもよかったと思う。

そんな無念を1年引きづって、また梅干の時期になったある休みの朝、天啓があった。ひょっとしてあの赤紫蘇の種が廻りに飛んでいて、新芽が出ているのではないか。

散歩のつもりで行ったら、あったのである、5cm位のが何本も。あわてて買物のビニール袋と小さいシャベルを持ってきた。朝早かったので通行は少なく、近所の人と顔を合わしたり、掘っているところを目撃されたり、警察官の不審尋問に遭うことなく、持ち帰った。プランタに4本、地植に4本ちゃんと根付いている。

なお、終の住処でもこの紫蘇は毎年咲き、ソーメンの薬味になっている。

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霞が関ビル-超高層のあけぼの [画期的建築]

1965年(昭和40年)、東京都千代田区に霞が関ビルは着工した。建築主:三井不動産、設計者:山下設計、施工:鹿島建設である。着工までに至るには、建築基準法の改正による高さ制限が撤廃や、技術的には「柔構造」が「動的解析:時刻歴応答解析」により大地震時でも安全性が確認された。前者は三井不動産の政治力であり、後者は武藤清東大教授によるものであった。

霞が関ビルディング.jpg

地上36階、塔屋3階、地下3階、高さ147mの霞が関ビルは日本の超高層ビルの嚆矢となり、その後のスカイスクレーパーの建設工事を加速させたのである。今や日本には高さ100m以上の建物は1000棟を超えている。中には「赤坂プリンスホテル」のように解体されてしまったものまであるほどである。

筆者は建築学科の学生であったから、霞が関ビルは実物を見たのは勿論、「超高層のあけぼの」という映画も見に行ったものだ。映画の方の鉄骨建て方は、実は「浜松貿易センター」を映したもので、筆者は後になって知った。

映画では、設計段階での幾度もの構造計画についての試算が果てしなく検討され、現在の構造モデルとなったこと、又、その為の鋼材「極厚H形鋼」が新たに造られたことが前半のハイライトであり、施工にあたっては東京タワーを組み立てた「鳶工」が集められた事がドラマとなっている。

霞が関ビルの構造計画で特徴的なのは

1. 東京礫層に直接基礎としたこと
2. 桁方向は3.2m間隔としたこと
3. 梁間方向は、15.6m、11.2m、15.6mの「俗に3枚卸」
4. スリット入りRC耐震壁を使ったこと
5. 柱を極厚H形鋼を使った
6. 梁に「ハニカムビーム」を使った
7. 柱-柱の接合に「高力ボルト」と「メタルタッチ」とした
8. 柱-梁の接合に「スプリットT」を用いたこと
9. 桁方向は各階に2枚の梁を付けた

と筆者は考える。

1. については世界有数の地震国に初めての超高層であり、出来るだけ不確定要素(軟弱地盤での地震力の増幅など)を排した。
2. 3.2mは地下にある駐車場の配置を意識したと思われるが、一方、小梁(6.4mスパンでは25kg/m2程度の鋼材量)は不用となり、鋼材の全てが耐震要素となる
3. スパン15.6mは今でもオフィス空間として十分である
4. これは小地震にはRC耐震壁として抵抗するが、大きい地震時にはスリットによるひび割れが起きて「剛性を小さくなり」S造の変形性状に同じとなって抵抗する。今の「制震構造デバイス」と言える先見性がある
5. 当時H形鋼は400×400×13×21までであったが、H478×428×40×60を日本製鉄が新たに製作した。まだ溶接によるボックス柱はなかった
6. 当時H形鋼は梁成が高いものが無く、H682×300×13×15をハニカム状に切断して組み立て梁成を900とした
7. 当時はまだ溶接技術が高くなく、ボルト接合とした。しかし「全強度設計」では鋼材のボルト穴欠損が大き過ぎるので、断面性能の半分は「メタルタッチ」とすることで接合部を設計した。実大実験による検証を行っている
8. 7.と同じく溶接による不安要素を無くすため、T形鋼のフランジ部を柱のフランジと、ウェブ部分を梁のフランジにボルト接合させたものである。
9. 柱のH形鋼はX軸Y軸の強度に差があり、梁間方向に強軸としたことから、桁方向は弱軸となる。その為、梁を増やすことで応力を少なくしたのである。これは「ベアリングウォール」である。

以上の「特徴」は「特長」であると筆者は考える。当時の技術力を正確に評価するのも「構造家」に求められる力量である。敬服する。

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