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モード学園コクーンタワー [エッセイ]

昨日NSビルでの講演会を聴きに行くため新宿を訪れた。新宿駅から都庁方面に向かって地上を歩いて行くと、周りの超高層ビルに中に合って極めて異彩を放つタワーがあった。モード学園コクーンタワーである。
新宿コクーンタワー.jpg

モード学園コクーンタワー(モード学園HPより)

外観は白いアルミの帯が斜めに交差しているガラスカーテンウォールであった。太い糸をボール状に巻いて行く時、規則的にまいて行くと上手く球形にはならない。斜め横縦といろいろな角度で巻き付ける必要がある。白いアルミの帯はその様なランダムに見える巻き付け方に見える。

新宿にはスカイスクレーパー(超高層ビル)が多い。ハーフミラーの新宿三井ビルや、巨大な内部吹き抜け空間のNSビルは、当時斬新な建築と評判であったが、今は当たり前のものとなっている。その中で、このタワーは建設途中からその特徴的な外観が話題となっていた。

設計者は有名な丹下健三の息子、丹下憲孝(ポール丹下とも呼ばれる)である。ハーバード大学大学院建築学課程を修了して父親の事務所に入り修業を積んだ。経歴には最初に赤坂プリンスホテルをデザインしたとある。当時はまだ丹下健三は建築界の大御所で現役であったから、はたしてこの赤坂プリンスホテルを憲孝が責任者だったかは分からない。ギザギザの外観に特徴があったが、再開発で今は無い。

お台場にあるFCGビルの設計は丹下健三の晩年に近く、丹下憲孝が実質的な責任者であったのは間違いないだろう。銀色に輝く大きな球体を浮かばせたデザインは、マンガに出てくる未来都市を思わせる。未来の建築なのに7階の屋上庭園には、長く高く続く階段を上っていくことになるが、これは古来日本の神社に上る参拝の為の階段に思える。

コクーンタワーの設計コンセプトは「繭」だそうで、モード学園で学ぶ学生は卒業して蝶になるわけだから、校舎は繭なのだそうだ。アルミの帯は繭の糸なのである。そして低層部のドームは当然蝶の卵となる。このドームとタワーを合わせたデザインを下ネタにする向きもあるが、これも一興である。

この建物くらい素直に設計コンセプトが理解できる建物は珍しい。そして特徴的なデザインとなったこの建物は、国際的にはEmporis Skyscraper Award、国内ではグッドデザイン賞を受賞している。国内の建築賞は一般には建築学会賞作品賞が最高の賞と言われている。筆者にはこのコクーンタワーが学会賞を受賞しなかったのには違和感がある。
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築地市場の豊洲市場への移転-23(日建設計の弁明②) [豊洲市場問題]

構造事務所の専門家の説明に対するPT委員の批難は、東工大教授のコメントが伏線となっている。会議は構造事務所の専門家による問題点の指摘に対して、日建設計の回答があった。それに引き続きPT委員のコメントとなったのである。

PT委員のコメントの最初が東工大教授であって、冒頭に構造事務所の専門家の件の模型の為の構造上のモデル化について、個人的には疑問がある、と述べたのである。そして空洞を1層と見做す必要性は、日建設計の計算(モーダルアナリシス:振動解析の一つ)による建物の変形量から判断すべきだ、とコメントした。

結局この考えで、基礎部分の変形は0.5㎜(構造事務所の専門家の計算では1.5㎜:FEM解析)と極めて小さく、わざわざ1層と見做して計算することは無く、地上4階建(3階はフレームとしては考えていない)の計算になった、との日建設計の説明が了承されたのである。

結論としてこの会議での問題追及は全て了解された。ただし構造のモデル化については、まだ構造事務所の専門家と日建設計との討論は続くような司会者の纏めではあったが、水掛け論になってお終いになるのは明らかである。

このような結果になったのは、構造事務所の専門家の指摘があまりにも正攻法であったことと、おそらく個人事務所規模の専門家ではもともと日建設計との討論は無理であったと思われる。かといって大手設計事務所は日建設計と事を構えるのは得策ではないから、打診された段階で断ったのではないだろうか?

今更このブログで問題点を指摘しても意味はほとんどないが、筆者には2点疑問がある。一つは、深さ4.5mに掘られた敷地に対して、構造的にどのように考えるか、つまり基本計画についてである。特に地盤が悪い場合、建物に地下室を作ることは地震時に対して極めて有効である。例えば地下室の下部の地盤が液状化して問題になった事例は、筆者は寡聞にして聞いたことが無い。

4.5m既に掘られていて、そこを建築的にどう使うか、構造的には地下室を考えるべきではなかったのではないか?つまり4.5mの盤に耐圧版を作るのである。そうすれば外周の「擁壁」は不要となるし、「根入れ効果」が期待できるのである。又、耐圧版という人工物で下部の汚染の可能性の残る地盤からの汚染物質を遮断出来る。専門家会議で提案された「埋め土・盛り土」に対して十分な説明が出来たのである。

2つ目は地震力による杭の挙動である。建物に加わる力は杭によって抵抗する。抵抗するためには地盤反力が必要で、通常地盤をばねと考えたモデル化を行う。すると杭の頭部が尤も変形が大きいから、地盤反力も尤も大きくなる。

しかし表層の地盤には大きな地盤反力は期待できない。地盤が降伏して塑性化してしまうからである。一般に基礎杭は地中に2mくらい埋まっているから、杭の頭部とはいえ地中だから地震力を受けた時の塑性化は2m分の土(或いは耐圧版)によって押えられるのである。

今回の杭は全く地中には埋まって無く、上述の押え効果は期待できない。従って地震時の変形は計算値より大きなものとなるだろう。それがどの程度かを検証すべきである。東工大教授は地盤工学の専門家(今や権威者である)であるから、もしこのことを指摘したらどのようにコメントしただろうか?
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築地市場の豊洲市場への移転-22②(日建設計の弁明) [豊洲市場問題]

豊洲市場の安全性などを検証する都の市場問題プロジェクトチーム(PT)の第2回会合が25日、都庁で開かれた。建物の基本設計を受注した「日建設計」の担当者が耐震性について、「法律の1.34倍の耐震強度で、安全は確保できている」と説明。PTの小島敏郎座長も会議終了後、「委員の間では耐震性について安全性を満たしているとの共通認識だ」と述べた。

この日は、PTが出席を求めた専門家が、施設の床の一部でコンクリートが構造計算より厚くなっていることに対して、耐震性に影響が出ないか質問。日建側は計算上の入力ミスだったと陳謝した一方、「耐震性は確保されている」と強調した。盛り土をせずに設置した地下空洞の地震への影響についても「地下空洞は頑丈に作っている」と述べ、影響はほとんどないとの認識を示した。10/25 産経

いよいよ世界No.1の設計集団、日建設計が登場した。日建設計は東京都とゼネコンの間にたって調整する役割があるから、真実を知る立場にあった。今回は積載荷重や地震に対する建物自体の安全性に関しての聞き取りであった。

論点は以下であった。

① 一部で防水層の押えコンクリートの厚さが実際は150㎜なのを10㎜で計算していた
② 市場関係者は設計積載荷重が少ないと懸念している
③ 基礎ピットの空間によって耐震性が損なわれている

現在サイトにはテキストは掲載されてなく当日の録画だけだったので、2時間見るしかなかった。①に関しては当ブログで指摘した通り、地震力は1%程度以下しか増えず、基準法の1.25倍の設計に対し、1.34だから余裕がある、との日建設計の説明はPTの合意を得た。

②に関しても、元々設計条件は東京都が提示しており、それを日建設計が使われ方の実態調査をして十分な数値を確認したものだった。筆者も同じでブログにしてある。荷捌き棟では、常時積載荷重を固定荷重として500kg/m2を考え、更にフォークリフト荷重を考慮していることが分かった。この説明もPTの了解を得ている。

揉めたのは③についてである。ヒアリングに呼ばれたのは日建設計の他に、構造事務所の人(専門家:構造設計一級建築士)が基礎部分も1層と考えて設計すべきとの意見に対してであった。その根拠に模型を使って、基礎部分も揺れる説明を行った。それに対してPTの設計事務所の委員が模型はあまりに誇大な揺れを示しており、一般の人が見たら不安に思ってしまう不適切なものだ、と強く主張した。

慌てて司会者が止めに入ったくらいだったが、筆者には双方とも問題があったように思う。確かに構造事務所の専門家の説明は分かり易さを重視するあまり、オーバーであった。一方PTの委員は、専門家の説明は個人的パフォーマンスだと決めつけたのは如何なものか?PTは中立公平なはずなのに、日建設計を擁護しているようにしか見えなかった。

なお、専門家の主張する1層増やすと、基礎部分の変形は専門家の計算で1.5mm、日建設計の計算では0.5mmである。この結果から見れば日建設計のいう、基礎は十分剛強であることを示している。
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姫路城-国宝と世界遺産 [エッセイ]

姫路城は1951年6月9日文化財保護法および国宝及び重要文化財指定基準に基づき、大天守、東小天守、西小天守、乾小天守が改めて国宝(新国宝)に指定されている。改めてと言うのは、1931年1月19日に国宝保存法に基づき、当時の国宝(旧国宝、文化財保護法における「重要文化財」に相当)に指定されていたからである。

一方、世界遺産については、日本は世界遺産条約を1992年締約し、姫路城はその年の10月1日に正式推薦された。世界遺産委員会の諮問機関である国際記念物遺跡会議は推薦に先立つ同年9月と、推薦後の1993年4月と8月に現地調査を行なった。そこで評価されたのは、木造建築物として、白漆喰の城壁を持つ優れた美と実用的機能を兼ね備え、明治以前の封建制度の象徴であること、日本の木造城郭建造物として最高のものであること、等であった。

姫路城を見て感動しない人は極めて少ないであろう。筆者も大いに感動した。駅の遠くから見ても姫路城はただならぬ雰囲気を持っていた。そして近づくにつれ巨大な美に圧倒された。これは世界遺産での幾つかの評価うんぬんではなく、直観として感じたものだ。

本年は上野の西洋美術館がコルビジェの一連の建築の一つとして世界遺産に登録された。これは慶事であることには違いないが、姫路城と比べると西洋美術館は同格とはとても思えないのは筆者の審美眼が無いからだろうか?

世界遺産になることは海外からインバウンドする観光客が増え、世界的に文化国として有名になることは良い事である。又、世界遺産に登録されることによってその遺産を守っていく義務が生じるから、人類の使命である歴史的遺産を長く後世に伝える為にもなるであろう。

しかし近年ユネスコは国際政治活動の場となって、世界遺産や世界記憶遺産の認証には政治的な思惑や、策動が有るやに報道されている。日本はこのようなユネスコの運営方法に抗議して、今年度の分担金の拠出を留保している。

筆者には世界遺産制度が、徐々に本来の崇高な目的から変容しつつあるように思えてならない。西洋美術館のようにそのもの自体は立派であることは分かっているのだが、選考する組織が避難を受けるようでは品格が下がるというものである。

姫路城は「国宝」である。国宝として守っていけばよいのである。















大川小学校の津波災害司法判断 [大地震対策]

東日本大震災の津波で児童・教職員の計84人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小の児童23人の遺族29人が、市と県に計23億円の損害賠償を求めた訴訟の判決が26日、仙台地裁であった。高宮健二裁判長は学校の責任を認め、計約14億2600万円を支払うよう市と県に命じた。判決は「市の広報車が巨大津波の襲来を告げて避難を呼び掛けて以降、教職員は大規模津波の襲来を予見していた」と予見可能性を認めた。

教職員が児童を学校脇に流れる北上川沿いの緑地帯を目指して避難誘導したことに関しては、「避難場所としては不適当だった」と指摘。「津波被災を回避できる学校の裏山に避難させるべきで、結果回避義務違反があった」と結論づけた。10/26 産経

なんとも切ない裁判である。東日本大津波大震災で死亡・行方不明者は約2万人であるが、大川小学校では児童74人、教職員10人が犠牲となっている。この裁判は遣る瀬無い気持ちの遺族が訴えたものであって、感情的には妥当な判決なのだろう。

又、たとえ「想定外」の災害であっても、日頃からの災害訓練を怠らないこと、伝承されてきた昔の災害を教訓とすべき事、大人たちは子供を守るべく臨機に対応すべきであること、等が必要であることを教唆した判決でもある。

しかしながらこの判決で指摘された教員の危機管理能力の欠如については、あまりに厳しい内容である。亡くなった教職員10人の遺族はどのようにこの判決を受け止めているのだろうか?本来は国が方針を出して、県や市町村が防災マニュアルを作り、各学校等に通知指導すべきであった。

その様な事を怠った国の責任こそ、尤も厳しく問われるべきであって、現場の教職員に責任を押し付けるのはおかしい。福島第一原子力発電事故は国が認可し、原子力保安院が監理・指導してきた重要施設であった。それを東京電力に過大に責任を押し付けるのも不合理なことである。

大川小学校の司法判断は感情的には理解もするし、又、今後の教訓として意味があるのだろう。しかしながら、法治国家として考えれば、判決を下した裁判官をやや独善的に感じるのは筆者の考え違いなのだろうか?















姫路城-東西の心柱 [エッセイ]

五重塔には心柱(建物の中心にある太い柱)があり、耐震工学的にこの心柱は地震時には建物の揺れを小さくする効果があると言われている。スカイツリーにも心柱があって、制震効果のある構造になっている。

姫路城には心柱が東西2本立っている。下の元口の太さは95㎝、全長24.6mの頂部末口は42㎝もの大木である。何故か東の心柱は丸柱だが、西の心柱は四角い。ネットで調べたら西の心柱は昭和の大改修で取り換えたもので、既存の柱ではないことを示すために変えたそうである。歴史的文化財の補修には学術的な配慮がされているのである。

木造で残っている城郭建築では姫路城は国内最大規模であって、従って心柱も太く、目の当たりにすると迫力があった。建築屋の性分故、このように大きな木材をクレーンが無い時代にどのようにして建てたのか興味が湧く。

筆者は現役のころ施工計画も担当しており、多くの建物の鉄骨建て方の施工計画を検討したことがある。例えば超高層ビルで下層階に大きな吹き抜けがある建物では、吹き抜けの上部の梁は大きな「トラス」であるが、その建て方は当時のクライミング式クレーンでは揚重能力が足りなかった。

その為当時最大であったジブクライミング式クレーンのJCC400(10t×40m)のさらに大きなクレーンを作るように提案したのである。JCC900である。当時クレーンの製造費はおよそクレーンの自重当たり100万円/tonだったから、たぶん300tonくらいの自重と考え、1基3億円で2基6億円掛かると稟申したのであった。

クレーンの無い時代には2本の柱を立てて、頂部に着けた滑車を使って部材を揚重するのが一般的であった。所謂「二又(また)」で、昭和30年代まで使われていたのである。おそらく姫路城の大きな部材も「二又」によって組み立てられたのであろう。

「二又」以外に考えられるのは「リフトアップ工法」で、これはスカイツリーの最上部のアンテナを建てた方法で、周りの構造体を作ってから、その中に中心の部材を作って、その下部にワイヤーを取り付け、周辺の構造体から引張り上げるのである。その為中心部材は最後の揚げしろとして少し長く作って置く必要がある。

「二又」にしろ「リフトアップ工法」にしろ「二重滑車」「定滑車・動滑車」は無かっただろう(?)から、持ち上げる木材と同じ重量を引っ張る必要がある。例えば60㎝×60㎝×8mの梁は2.3ton位あるから、100人位の人力が必要だったと思われる。壮観だったことは容易に想像できる。















姫路城-白鷺城 [エッセイ]

姫路城は姫路駅の真正面に位置していた。片側3車線、両側の歩道には2列の並木が植えてある大通りの遠くに見えている。白いお城は「白鷺城」と呼ばれるのも宜なるかなである。早速遠景の写真を撮ろうとしたが、歩道からは並木によって城は見えず、横断歩道の中央で素早く写真を取る必要があった。
姫路城.jpg

白鷺城と呼ばれるのは壁と、屋根も白いからだと思っていたが、その由来には

1. 姫路城が「鷺山」に置かれている
2. 白漆喰で塗られた城壁の美しさ
3. ゴイサギなど白鷺と総称される鳥が多く住んでいた
4. 黒い壁から「烏城(うじょう)」とも呼ばれる岡山城との対比

などがあるそうだ。
壁が白いのは漆喰仕上げと言うのは建築屋の常識だが、屋根の白さは知らなかった。天守閣を登って、屋根を近くに見たのが下の写真である。
姫路城の屋根.jpg

屋根は平瓦・丸瓦の組合せの本瓦葺で、丸瓦同士と平瓦の接合部とにこんもりと漆喰が塗られているのである。これにより、下方から見ると丸瓦部は白く見え、平瓦部分は約1/3の面積だから、全体として白く見えるのであった。

城には黒く見えるものと、白鷺城のようなものと2種類ある。黒の壁は防腐剤として柿渋と黒漆を外壁に塗っており、白い壁は漆喰なのである。漆喰は徳川時代から初めて使われており、以降の城は白い城だそうである。つまり漆喰の技術によって時代別に分かれたのである。

ただし黒い城は見た目が小さく見える為、小さいのに実力があることとなり、白い城は見た目が大きいから、少し小さく作っても良い事になる。戦乱の世と太平の世での城の違いとも解釈されている。















高層マンションにかかる固定資産税見直し [建設関連ニュース]

政府・与党は平成29年度税制改正で、タワーマンションなどの高層マンションにかかる固定資産税を見直すことが21日わかった。現在は床面積が同じであればどの階層でも同じ税額だが、実際の取引価格を踏まえて高層階ほど税負担を高く、低層階では低くなるよう調整する。与党の税制調査会で議論し、12月にまとめる29年度税制改正大綱に盛り込む。30年1月にも実施する方針だ。10/22 産経

タワーマンションに住むというのは、特に都会であれば憧れている人も多いだろう。100m位からの眺望は東京からも天気さえよければ富士山を遠望できるし、毎日暁光を拝めるのも人生の楽しみになるかもしれない。

高層マンションの実現には事務所ビル(ホテルも一応そうだが)の場合と違って、台風時の揺れの問題があった。大地震は極めてまれだから居住性とは切り離せるが、風揺れは長く続くから眩暈や気分を害する問題があったのである。

地震に対しては「柔構造」で良かったが、風揺れに対しては「剛構造」が望ましい。現在では「制震構造」なのだろうが、昭和50年代に入って鉄筋コンクリート造の高層マンションが実用化され始め、今では柱、梁をプレキャストにして工期的にも早く建設出来るようになった。

鉄筋コンクリート造の高層マンションが可能になったのは、コンクリート強度が飛躍的に強くなったからで、Fc30N/mm2位だったのが、今では100N/mm2以上にもなっている。鉄筋コンクリート造では鉄骨造に比べ「剛性」が高いから、風揺れに有利となっているのである。

鉄筋コンクリート造の高層マンションの簡単な経緯は以上であるが、しかしせっかく住むのであれば、やはり上層階に住みたいと思うのが普通である。そのマンションに住むことだけでもステータスと思っているかもしれないが、1,2階は住居用ではないだろうから、3階から住居としても、3階では眺望はおそらく期待できない。だから低層階と高層階では30%位の販売価格の差が出るのである。

今回の固定資産税の評価は全ての階を一律ではなく、販売価格を考慮して見直す、と言うのは至極もっともなことである。これは評価額が変わることを意味しており、遺産相続の為の「タワマン節税」対策にもなるのだろう。
「タワマン節税」とは子供に現金ではなく高層マンション、特に上層部の住戸を購入すると、先ず、不動産の場合の遺産相続の評価額は現金の半分以下となり、特に上層部の住戸であれば1/3くらいだそうで、相続税は極端(基礎控除範囲内ならゼロ)に少なく出来るのである。

内容はどうあれ、一戸建てが「終の住処」と思っている筆者には関係ない話である。















小岩井農場が重要文化財へ [建設関連ニュース]

国の文化審議会は21日、洋式農場の先駆けとなった小岩井農場(岩手県雫石町)の施設や、浄土宗大本山・知恩寺(京都市)の御影堂など9件65棟の建造物を重要文化財に指定するよう文部科学相に答申した。近く答申通り告示され、建造物の重要文化財は2465件(うち国宝223件)になる。

小岩井農場は、本格的な洋式の大規模農場を日本に導入するため明治24(1891)年に開設された。明治から昭和初期に当時の最新技術を使って建てられ、現在も良好な状態で保存されている事務所や牛舎、サイロなど21棟を指定する。10/21 産経

小岩井農場というと筆者には乳製品のブランドのイメージが強い。実際、農場の乳牛(ホルスタイン)飼育数は約2,000頭強であり、生産される生乳はすべて小岩井農場内にある小岩井乳業工場にて牛乳等に商品化されている。大規模酪農の象徴と言ってもよいだろう。

文化財保護法では「文化財」を「有形文化財」「無形文化財」「民俗文化財」「記念物(史跡、名勝、天然記念物)」「文化的景観」「伝統的建造物群」の6つのカテゴリーに分類しているが、このうちの「有形文化財」に該当するもので、文部科学大臣によって指定されたものを「重要文化財」と呼称している。
小岩井牧場.jpg

この写真は指定された建物の中の四号牛舎である。筆者は直接見たことが無いので論評するのは憚れるが(元々建築史家でもない)、大正5年(1916)建設された、延べ床面積515.6m2、木造四階建、切妻造、下見板張である。家畜の飼料用穀物を乾燥・貯蔵するための倉庫である。内部にエレベーターが設置されており、搬入時に四階へ上げ、階下へ降ろしながら分別し、貯蔵した。当時の農場長が欧州視察の際目にした倉庫をモデルに建設したという。

飼料の扱いは重労働で、それを如何に解決するかを検討し造られたものなのだろう。どの様なエレベーターかは分からないが、欧州の牛舎を参考にしたのであろう。外壁は木造の下見板張であるが、100年以上経過してもなお、厳しい冬季の北国で風雪に耐えてきたのは素晴らしい。















鳥取で震度6弱の大地震 [大地震対策]

21日午後2時7分ごろ、鳥取県中部で震度6弱の地震があった。岡山県北部などで震度5強、島根県隠岐などでも震度5弱を記録するなど、関東から九州にかけて広い範囲で揺れを観測した。気象庁によると、震源地は鳥取県中部で、震源の深さは約10km。地震の規模はマグニチュード6.6と推定される。津波の心配はない。
その後も、鳥取県などで震度4を観測するなど、余震とみられる地震が続いた。

鳥取県内では、30代の女性1人がけがをしたとの情報があり、消防などが確認を急いでいるほか、湯梨浜町で3階建て庁舎のタイル壁がはがれて落下。県内の約4戸で停電も発生した。交通では、山陽新幹線は新大阪-博多間の全線で運転を一時見合わせた。東海道線も一時運転を取りやめた。10/21 産経

鳥取では近年、「鳥取地震」と命名された地震が、第二次世界大戦中の1943年9月10日17時36分54秒に発生した。震源地は鳥取県気高郡豊実村(現・鳥取市)野坂川中流域。M 7.2。震源が極めて浅く、鳥取市で震度6、遠く瀬戸内海沿岸の岡山市でも震度5を記録した。

又、「鳥取県西部地震」は、2000年10月6日13時30分18秒、鳥取県西部を震源として発生したM 7.3の地震である。震源は鳥取県米子市南方約20km(北緯35度16.4分、東経133度20.9分、深さ9km)である。最大震度は6強(鳥取県日野郡日野町根雨、鳥取県境港市東本町)であった。何人かは生き埋めとなったが救助され、死者は無かった。しかし、境港市街の液状化を始め、日野町、米子市などで住宅の倒壊、損壊など物理的な被害は顕著であった。

こうしてみると今回の地震は、規模(地震エネルギー)としては過去の2地震に比べると1/8「10^-(1.5×0.6)=0.125」であった。死者は出なかったものの、大規模な停電と東海道・山陽新幹線が一時停車するなど広範な影響が生じている。家屋の被害としては瓦屋根で「土壁」の家が倒壊している映像がTVで流れていた。

「土壁」の家は現代では殆ど作られてはいないが、断熱性や調湿性など日本の気候に適した建材ではある。しかし職人が少なくなっており、手間が掛ることから、コストアップとなるのでよほどの思い入れが無いと実現しない。

又、弱点は重い事であり、今回崩壊した家(50年以上前の建物)では土壁の厚さが7㎝以上あると思われ、又、耐震壁と考えているから「筋交い」は入ってないと考えられる。そうなると屋根瓦の重さもあって、震度6弱では崩壊となったのである。

熊本地震では4月14日21時26分、マグニチュード6.5、4月16日1時25分には、M7.3の地震(本震)と連続して発生している。鳥取でもここ数日後にマグニチュード7以上の本震が襲うかもしれない。古い家屋や、被害を受けた建物では1階に居ては危険である。十分な備えが必要である。