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共生 [エッセイ]

共生とは(SymbiosisあるいはCommensal)生物学用語として、複数種の生物が相互関係を持ちながら同じ所に生活している状態を意味している。魚類であるクマノミと、刺胞動物であるイソギンチャクの共生関係は有名である。

又、社会学的にもマーケティングの考え方の中に、企業と企業(ウィンウィン)、企業と消費者、自国と他国、人間と自然が共に生き、信頼を最優先するマーケティングである。

更に環境社会学において、自然と人間の共生という考え方がある。自然災害の増加から、国際連合の国連防災世界会議では「自然を制するのではなく、自然と共生する社会を目指す」という主旨を標榜している。

一方建築界でも共生の概念は50年も前から登場している。建築家黒川紀章である。1958年、彼は「機械の時代から生命の時代への転換」を予言し、メタボリズム(新陳代謝、リサイクル)、エコロジー、サステナビリティ、共生、中間領域(両義性)、花数寄(両義性の美)等の生命の原理のキーワードをテーマに設計活動を展開してきたのである。

2006年に竣工した国立新美術館は国内最大床面積を持つ。「森の中の美術館」をコンセプトのした建物であるが、デザインはガラスカーテンウォールで、大きくうねった外観は、中に展示された芸術作品のエネルギーが爆発しているように思える傑作である。

斬新なデザインであるが、このガラスカーテンウォールは水平方向にもガラスで着きだしており、紫外線をカットしている。つまり夏の遮光効果を持つ省エネルギーの外壁であり、その意味で電力発電の主エネルギー源である「化石燃料」を出来るだけ使わない「共生」なのである。

共生ではないがメタボリズムの具現として有名なのは、東京銀座に建つ、中銀カプセルタワービルである。センターコアから、プレファブのカプセルルームを取り付けたこの建物は忽ち有名となった。カプセルは取り換えが可能で、まるで枯れ葉が落ちて翌年新しい葉が芽生えるようだ。

しかしこの有名建築も老朽化が進み、建て替えの計画が発表された。すると建築界からは保存の要望が出され、オーナーの了承のもと保存のための試行が行われている。

黒川の共生の思想は、1987年著書「共生の思想」に集大成され、建築が自然の中で如何に住まうかを説いている。書院作り、茶室に集大成された日本建築の美と自然との融和こそがこれからの建築にも必要なのである。

新国立競技場の設計案も、こぞって自然との調和を設計コンセプトとしていた。黒川の影響を受けているのは確かであるが、建材に木を使うだけで共生になるのだろうか?















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京都の景観 [エッセイ]

もう45年以上も前のことである。高校の修学旅行で京都を初めて訪れた。開通して10年も経っていない新幹線のプラットフォームからは、京都の街が一望できた。京都の街は鼠色の瓦屋根が果てしなく続いており、遠くには東山や北山などが佇んでいた。

京都の街のように、統一された瓦屋根が続いているのを見たのは初めてだった。鼠色と表現したが、燻銀の様な輝きともいえる。落ち着いた中に千年の歴史が感じられたのだった。

又、街割が格子状となっているせいか、瓦屋根の方向は同じで、そこには繰り返しのリズムが見て取れる。ちょうど人工林である北山杉の、繰り返しのような風景に音楽的リズムを表現した東山魁夷の絵画のように。

屋根や外壁の色が統一されていると、よっぽどの極彩色ではない限り街並みはきれいだ。西欧で屋根がオレンジ色、外壁が白色の住宅群を見かけると、日本にはない異国情緒を感じるものだ。

修学旅行は教育の一環なので、選択科目の工芸には課題があった。京都の工芸品のレポート提出で、京都には数々の工芸品がある。何か見つけた工芸品の写真を撮って、感想を書けばよいのだろう。

しかし私が提出したのは、新幹線のホームから見た瓦屋根の風景である。千年の歴史を感じさせる心象を書いただけのレポートだった。

時は流れ、今の京都駅は原広司の設計による巨大なBOXである。大阪への出張の度にこのBOXを見て、何故このような巨大な駅ビルが必要なのかと疑問に思っていた。建設の際には景観論争があったと聞く。

観光で京都を訪れ、初めて駅ビルの中に入った。BOXの内部は千年の歴史ではなく、未来都市の様であった。そして京都の瓦屋根の家はいつの間にか少なくなってしまった。















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公園の必要性 [エッセイ]

家の近くには公園があって、散歩の途中で寄ったり、子供たちが遊んでいるのを見るのも楽しいものだ。例えば伊勢神宮などはそうなのだが、公園の大きな木は何か心を安らかにする。住宅街では大きな木があるのは公園だけである。

都市計画上、公園は住区基幹公園、都市基幹公園、大規模公園、国営公園、緩衝緑地等と分けらているが、ここでは住区基幹公園のことである。住区基幹公園は、街区公園、近隣公園、地区公園と更に区分される。

街区公園は、主に街区に居住する者の利用に供することを目的とする公園で、誘致距離250mの範囲内で1箇所当たり面積0.25haを標準として配置する。

近隣公園は主として近隣に居住する者の利用に供することを目的とする公園で、近隣住区当たり1箇所を誘致距離500mの範囲内で1箇所当たり面積2haを標準として配置する。

地区公園は主として徒歩圏内に居住する者の利用に供することを目的とする公園で、誘致距離1kmの範囲内で1箇所当たり面積4haを標準として配置する。

勿論この通りに公園が出来る訳ではなく、上記を目標比各自治体が目標として都市計画を進めているのである。

家からあるいて300mくらいの範囲で4つの公園があり、それぞれ約0.35、0.25、0.20、0.15haである。大きさから街区公園であることが分かった。チワワとの散歩で通るのは、このうちの0.20haを除く3つの公園である。

0.15haの公園は家に最も近いのだが、まだ新しく、木は大きくなっていない。しかしチワワの散歩には欠かせない公園で、子供たちが遊ぶ場としても多く利用されている。休みの日には、父子の姿もよく見かけ、街区公園として立派に機能していると言ってよい。

0.35、0.25haの公園には高さが15mくらいの木が何本も立っていて、朝は鳥たちのさえずりがあり、夏には蝉の声がかまびすしい。これらの公園に行くと木々たちの生命が感じられて、なんだか力をもらえる気がしている。

公園は自治会活動の場としても有効で、環境美化やバザーやお花見会などを通じて、自治会会員の懇親を深めることは意義深い。子供を事件から守る防犯の上でも、又、認知症の方の彷徨に対しても早期発見につながるのである。

公園の防災機能は知られるところで、災害時等の避難場所として指定されていることがあるが、2haを標準とする近隣公園以上の大きさの公園である。今、熊本では仮設住宅の建設が行われている。

公園には鳥や昆虫の棲みかとしての機能があって、環境的には、生物多様性の維持のために役立っている。しかし蚊も住んでいるから、時としてデング熱やジカウイルス感染症の問題も注意が必要である。

蚊にも何かしら生物多様体としての役割があるはずで、ネットで調べたら他の昆虫や鳥やカエルのえさになっている。鳥やカエルが人間にとって有益な生物なのである。















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熊本地震による耐震基準の見直し [大地震対策]

熊本地震のような2回の震度7の地震に建物が耐えるためには、現行の耐震基準より5割増の強度が必要になることが、京都大工学研究科の竹脇出教授(建築構造学)の研究グループの解析で分かった。1回の震度6強~7の地震に耐えることしか想定していない現基準の建物では、立て続けに震度7級の大きな揺れに襲われると倒壊の危険性があるという。京都新聞(5/11付け)
筆者の経験では、阪神淡路大震災の直後現地を調査したが、芦屋浜のスーパーフレーム高層住宅群の柱が引張り破断していたのを目の当たりにした。設計施工したゼネコンは震度5の余震には耐えられる、と言っていたのを思い出す。
今回の熊本地震の被害を受け、上記のような意見があることから、国土交通省では熊本地震における建築物被害の原因分析を行う委員会を設け、答申を受けることとなった。委員長は久保哲夫東大名誉教授である。
久保哲夫は東大建築学科構造研究室の教授で、この研究室は佐野利器、武藤清、梅村魁、青山博之、小谷俊介と続き、次の教授であった。日本の建築構造の草分けの研究室で、佐野は世界で初めて耐震規定を建築基準法に盛り込み、武藤は霞が関ビルを実現させた。梅村は昭和56年に「新耐震設計法」を法制化した。
この3人は建築界の大家として名高いが、東日本大震災時の遠隔地で超高層ビルが大きく揺れて、長周期地震動に対しての補強が必要であることが判明した。
今回熊本大震災を経験した耐震規定では、佐野が作った地震力の剪断力係数0.2(正確には0.1で安全率が3)を梅村は1次設計として、2次設計では1.0と大幅に引き上げた(内容的には2倍くらい)。しかし今回さらに1.5倍にすべきだ、というのが竹脇の主張である。基準法の1.5倍で設計するべきとの考えは、このブログでも再三書いており、竹脇の主張はまさに我が意を得たものである。
国土交通省の調査委員会がどのような結論を出すのか注目されるところであるが、答申となるのはたぶん2年以上かかるのではないだろうか?現在の法基準の改正となるから、管掌官庁としては相当な根回しが必要であろう。最悪「国の責任問題」になることは避けたいからである。
しかし自分たちの保身より、国民の生命財産を守ることの方が重要なことは明白である。原発の稼働より、自分の家の安全性の方がはるかにリスクは高い。首都圏直下型地震や南海トラフ地震が30年以内に70%の確率で発生が予測されている今、耐震基準の改定に残された時間は少ないのである。















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景観論争 [エッセイ]

昭和41年、丸の内の東京海上火災株式会社が旧い建物を取り壊して、超高層の事務所を建築しようとして建築申請をし、当時の東京都がこれを不許可にした。改築の設計は前川国男で、地上30階建てで高さ127mであった。

当時、周囲の建物は建築基準法の高さ制限等により、31m(百尺)の高さで揃っており、「皇居を見おろすのは畏れ多い」などの反対派と、「高層化は世界の趨勢」の推進派の議論が起こった。

申請を受けた都は改築を建築法規違反につき不許可とする一方、急遽「美観条例」を作り、美観地区の復活をはかったが、都議会各会派の足並みの乱れで実現しなかった。

結局、施主・東京海上が折れ、当初の計画の30階、127メートルを、25階、99.7mに修正・建築することで落着した。この例に基づき、皇居前の建物は高さが100mで統一されている。

景観論争は各地で起こっいて、有名なのは京都タワーである。昭和39年に計画が発表されて、高さが131mと分かり論争が起きた。京都には木造建築として日本一の高さを誇る高さ55mの東寺の五重塔がある。京都のシンボルともいえるこの建物を超作ってはならない、との考えであった。

京都タワーの場合、景観を壊すという事もあるが、宗教的な意味合いもあると思える。仏の建物を見下ろすのは人間の奢りとも考えられるからである。

高さだけの例でいえば、3権分立の象徴的建物である、国会議事堂と最高裁判所の建物高さは同じである。流石に首相官邸は同じ高さにすることは出来ない。しかし今では霞が関の官庁街の建物はどれも議事堂より高いのだが、誰も文句を言わないのだろうか?

首都や大都市の景観は、日本の象徴的な性格を持つ。都市計画が必要なわけであるが、しかし今の東京の景観はどうであろう。誰かが統一的イメージを持って主導しているのだろうか?せいぜい公開空地を作り、樹木を植えることくらいではないか。

今の日本の景観は不動産業者が作っている。















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ゴミ置き場 [エッセイ]

先日、年に一度の自治会の総会に出席した。実は今のところに引越ししてきて5年になるのだが、総会には初めての参加である。家内も総会には出たことがない。

65世帯の自治会であるが、出席したのは25名で、他に委任状も同じくらいの数であったから正式な総会となった。場所は市のコミュニティセンターの会議室である。

昨年の活動報告と今年度の役員と活動計画の承認が議事であるが、司会者も慣れたもので、てきぱきと議事を進めていた。会議の雰囲気は良くて、意見もいろいろ出たので、予定していた時間をいささかオーバーした。新しく会員(引越してきた人)になった人からも、この自治会の雰囲気は良いと感じてくれた。初めて参加の私が言うのは変だが。

一番の問題はゴミ置き場であった。今のゴミ置き場は、30台くらいの駐車場の前面道路に置いてある。パイプでフレームを作り、ネットで囲った簡易なものである。そのネットが傷んできており、生ゴミの時にはカラスが入ってきそうな状態なのである。

いっそ金属製の蓋つきのゴミ箱にしたらどうか、という意見が出た。前面道路は私道なので市の許可は不要なはず、という人がいた。すると別の人は、道路上にその様な工作物は置いてはいけない、と警察の指導があるという。

5年も住んでいて、毎日ゴミ置き場を利用していながら、その道路は私道とは初めて知った。迂闊であった。その道路に面して数軒の家が建っているから、私道ではあるが「位置指定道路」なのである。この場合、道路管理者である市の道路課の許可は不要であろう(舗装の修理などしてくれないのだから、権限もないはずである)。

しかしこの道路は行き止まりではなく、市道に繋がっており、見た目は6m幅のちゃんとした道路である。車の往来は多くは無いが、交通事故でもおきたら困るので、警察としては監督する立場なのであろう。

ゴミ置き場はどこでも問題となるので、最近では4軒以上の家を建てる場合にはゴミ置き場を作るよう、建築指導課(または環境整備課)から要求される。しかし前からの住宅地ではその様な決まりは無くて、すると公園等の前の道路等に置いて、自治会がネットを被せているのを見かける。これは交通の邪魔であるが、警察としても黙認しているのだろう。

東京都は自分の家の前にゴミを出しておくと、各軒ちゃんとゴミを回収してくれる。自治体によって扱いは様々で、やはり苦労しているようだ。

理想的には、100軒くらいのコミュニティに1つの公園があり、その公園に見栄えの良い金属製のゴミ箱を置くことであろう。その公園には監視カメラを付けるのが良い。犯罪防止と、ゴミ出しの間違いをした人を特定できる。












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溶接技術 [建物の構造]

建設業にとって溶接技術は最も重要な基礎技術の一つである。鉄骨造に溶接工程の無いのものない。例え工事現場では溶接は無くとも、工場で作られる鉄骨は溶接によって組立てられている。

建築用鋼材の種類にSM材があるが、このMは「Marine」の意味で、船舶用に作られた鋼材のなごりである。溶接は船舶に最初使われており、その善し悪しは耐久性能に大きく関係し、初期の船舶で溶接の原因による事故が多く起こった。ドイツの潜水艦Uボートの溶接技術は当時世界最高だったという。

建設業に本格的に溶接が行われたのは関東大震災後の、復興した建物が最初と言われている。鉄筋コンクリートを撚り強固にするため、鉄骨鉄筋コンクリート造が出来たのも震災後であった。

当時鉄骨造と言えば「リベット」で接合して鉄骨を組み立てていたのだが、工場加工で溶接が使われた始めたのである。工場での溶接ならば風や気温(気温が5度以下だと施工欠陥が生じやすい)の問題は無いので、先ずは工場での溶接の取り入れとなった。

しかし現場施工では相変わらず「リベット」が鉄骨同士の接合に使われていた。リベットとは半球の頭を持つ鉄筋棒で、現場の炉で熱して灼熱させる。そのリベットを地上から、遥か頭上のリベット工にペンチで投げ、受けたリベット工は「ガセットプレート」の穴に通して、2人で両方から灼熱のリベットの片方を機械でタタキ、同じく半球状に加工して締め付けるのである。

筆者の時代にはもうリベットの現場はないが、「風速40m」の映画で見ている。職人技と言うか、サーカス芸のようであり、相当危険な作業である。1960年代からリベットは「高力ボルト」に置き換わり、リベット工はもういない。

日本で初めての超高層の「霞が関ビル」では極厚のH形鋼が開発されて、柱に使われたが、柱の接合は溶接ではなく、ガセットプレートを使う高力ボルトであった。又、柱と梁の接合にはT形の鋼材をがセットプレートとして用いた、スプリットT接合で、これも高力ボルト接合なのである。

現場での溶接接合は既に普及し始めていたが、初めての超高層ビルで、高いところでは風も強く、品質確保が難しいと判断したのであろう。

超高層ビルとして最初に溶接構造が採用されたのは、新宿三井ビルである。超高層ビルの柱は極厚のH形鋼だけではなく、ボックス柱の方が強度・剛性の方向性がないため設計されたのである。そのためには溶接技術の進歩が不可欠であった。「ガスシールド狭開先溶接」である。

狭開先とは、それまでの溶接は「レ形溶接」と言って、溶接する片方を斜めに削る形状であったが、厚い鋼材では溶接量が多くなりすぎるため、溶接時間が掛ることと、品質上も溶接部の熱影響が残留する問題があった。溶接すると鋼材の性質が変わることから、熱影響は出来るだけ低減する必要があったのである。

狭開先溶接は完成されていたわけではなく、問題が確認される度に新たな技術が開発されて、より信頼性の高いものとなっている。












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満足な家は3軒め [エッセイ]

家を建てること3件目でようやく満足のいく家が出来た、とはよく言われることである。これは家の設計にあたり、情報収集と自分たちの将来がどうなるかについて、どれだけの時間を掛けられるかが大変難しいからである。

情報収集とは先ず立地条件で、買い物、通学、病院、公園、外食などその他の店の有無、地盤の強度、傾斜地なのか、等の地域性と、土地に関しては道路との接地状況、方位、広さ、建てられる家の大きさ(容積率)などである。

又、建築を依頼する建築家(工務店)の実績、考え方、施工を依頼する工務店の実績、対応の良し悪しがある。
自分たちの将来とは、先ずどのようなライフスタイルを望んでいるかの整理が必要である。最も基本となるのは部屋数である。子供が3人いる場合、一人ずつに部屋は必要かどうか、これは考え方次第ではあるが、3人いれば2人は同性である。だから2部屋でよい、と考えることもできる。

個室は小さくとも、リビングダイニングはできるだけ広くした、という考えもあるし、子供が大きくなって、個室もそれなりの大きさが必要という考えもあるだろう。主寝室があまりに狭いのはどうであろう。

収納はできるだけ多くしたい、という要望は多いのではないか?マンションなどは部屋を大きくするため収納を減らす傾向がある。収納を減らすと結局収納家具が増えることになるのは自明である。しかしマンションのモデルルームを見学するだけでは、中々気が付かないものだ。

コンセントの位置や個所数も、自分が生活することをよく考えて決めたいものである。インターネットの配線はどうか?今ではWi-Fiルータがあればデータを送る速度も向上しており、配線は不要である。セキュリティの面では注意が必要であるが。
太陽光発電は経済的なのか、メンテナンスはどうか、など総合的に必要なのかを考えなければならない。しかしこれはネットで情報が沢山あるから、丁寧に(情報が多すぎて、実はこれが大変なのだ)調べれば結論が出るだろう。買い取り価格は年々下がっているが、一方、太陽光の設置価格も下がっている。費用対効果の検証である。

さらに今まで住んでみて不便さなどをリストアップしておくことも必要である。 

等々、家を建てるのはことほど左様な問題がある。だから中々1軒目の家で満足できないことが多いのである。人は全てを一度には学習できない。しかし何事もそうだが、間違いを繰り返さなければ必ず良い家はできる。

結論が必要である。筆者の考える良い家を作るには、良い建築家(設計者or工務店の場合もある)と良い工務店、そして建築主である自分の努力(資金も含まれる)である。これは必要十分条件であって、必要条件としては上記のうち2つが良ければ、建築は何とか良いものになる。

ちなみに筆者は結婚して社宅に入り、最初に家を建てたのは建売で、従って建てたとは言えないかもすれない。そして自分で設計した「終の住処」である。終の住処では、やはり細かい反省がある。












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東京都庁舎 [エッセイ]

東京都は舛添知事の金の問題で揺れに揺れている。そもそも舛添知事は猪瀬前知事の都知事選での5000万円の借金が政治資金だったにも拘らず、政治資金収支報告していなかった金銭問題で交代したのである。

突然の知事選挙で自民党が適当な候補者を選べない中、舛添知事は棚ぼた式に舞い込んできた自民党東京都連の推薦を得て、知事になった。そして2020年のオリンピック開催を、当然のごとく自分が行うような振る舞いを続けていた。

東京都知事は日本の政治家の中では、おそらく総理大臣に次ぐポストである。13兆円の予算は国としてみれば世界で30番目くらいであり、権限は大統領並みで、その意味からは総理大臣以上である。

そして都庁の建物である。双頭の第一本庁舎は、大聖堂のように見える。設計は超高層ビルの設計経験という条件付きのデザインコンペであった。日本の著名な建築家、大手設計事務所が参加したが、丹下健三の案が採用された。当時の鈴木都知事と丹下健三は選挙を手伝うなど親密な関係にあった。なお丹下は旧都庁を設計している。

1986年にデザインコンぺで決定したのだが、当時鈴木知事は75歳、丹下健三は72歳であった。都庁のデザインを、口さがない人たちは二人の墓塔の様だと言った。

筆者は流石にそこまで悪く言うつもりはないが、例えば新宿駅から地下(大部分の人が歩く通路)を歩いて第一本庁舎の地下玄関に行くと、そこは床、壁が白い花崗岩で(自然光も入るのだが)緑はなく、寒々として空間である。都民や職員を温かく迎える雰囲気ではない。

又、これは筆者がゼネコンに勤めていたせいもあるが、都庁の外壁は花崗岩などをタイル並みの大きさにして、プレキャストコンクリート板に張り付けている(コンクリートの底型枠に敷いて、コンクリートを打設して一体化させている)。しかし、このような自然石の使い方は将来的な剥離のリスクを高くする(現に補修している)ので問題ではないか。ICチップの回路をイメージしている、というのだが。

知事室に入ったことはないが、第一本庁舎7階の全フロアが知事室である。天井高さは7mあるという。本当に大聖堂である。広場を見下ろすベランダもある。このようなところで大統領並みの権限を持って過ごせば、よほど自分を律しない限り権威に染まり、次第に人としての道を誤るのではないだろうか?

このブログは政治に関して書くつもりはないのだが、都庁のデザインを見ると「権威」そのものに見えてしまうのである。西洋のゴシック建築はカトリックの権威の象徴だから、それを模した都庁がそう見えるのは当然である。

ニューヨーク市庁舎は1812年に建造された4階建て(写真で見る限り)で、内装などは何度もリニューアルされている。ニューヨークにある建物で古くてみすぼらしい建物は、大概役所の建物だそうである。












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時刻歴応答解析 [建物の構造]

時刻歴応答解析とは一般の人には耳慣れない言葉であるが、主に高層建築物等に用いられている構造計算方法のことである。建築物を質量・ばね・減衰でモデル化した上で、地表面に時間とともに変化する地動加速度(地震動)を与え、建築物の各階の応答加速度、速度、変位を計算し、安全性を確認するである。

時刻歴応答解析は霞が関ビルの設計で武藤清らによって開発され、地震国日本で初めて超高層ビルが実現した。超高層ビルは固有周期(ビルの頂部に力を加えて変形させ、離すと揺れる。その時の周期)が長いので、地盤面が短い周期で揺れても上部は慣性力であまり動かない。つまり地震力が伝わらないので安全である、という結論である。

この方法はコンピューターの能力が大きくなって初めて計算が可能となった。霞が関ビルの解析で使われたコンピューターは今や個人のパソコンに及ばないものであった。時刻歴応答解析のソフトは沢山開発されて、審査を受けて販売されている。従って個人で計算できるようになっている。

難解な計算も計算ソフトでデータをインプットされれば中身が分からないまま、計算結果が出てくるのである。しかし現実には超高層ビルの計算は少なくとも構造設計一級建築士でなければならず、さらに指定審査機関の評価を受けなければならない。

それでは時刻歴応答解析で計算すれば安全な超高層ビルになるのか、と問えば絶対ではない。現に東日本大震災では遠隔の超高層ビルが大きく揺れ、今後東海地震などの海洋型巨大地震が発生したら頂部がさらに大きく揺れ(片側2.5m)たり、揺れの加速度が大きく建物の中の人や家具が放り出される、危険な超高層ビルが多数あると言われている。

何故このようなことになるかと言えば、先ず、時刻歴応答解析に用いられる地震波が僅か3つだけなのである。どのような最大加速度、速度(加速度より重要な要素)、変位、周波数特性、継続時間など、地震波は千差万別なのだが、考えられるすべての地震波を計算するわけには行かない。時間とコストが掛かるからである。致命的なのは長周期地震動の影響については、1990年代になって認識されたことである。

次に今や超高層ビルは地下を深く掘って強固な地盤に直接支持させる直接基礎は少なくなって、杭基礎が多い。すると基礎杭自体の地震時の挙動が問題になってくるが、固くない地盤の強震動での性質はよく分かっていない。だからインプットデータはかなり幅のある数値になって、これでは計算精度は著しく悪くなってしまう。

建物のモデル化についてはかなり研究が進んであり、部材が弾性から塑性に変化していく過程をモデルできる。しかしそれでもまだ、減衰定数については建物ごとに正確に特定するレベルにはなっていない(制震構造では制震装置の効果が大きくなるが)。

このように見てくると時刻歴応答解析もまだまだ問題があることが分かる。しかし何といっても地震力の大きさをどう設定するかが一番の課題である。現在は200~500年に一度の地震を想定しているが、アメリカ西海岸では2500年に一度の地震も考えられているという。

研究者のテーマになりやすい計算技術(研究費は余りかからない)を高めることは必要である。しかしインプットデータ、地震力(構造コストに大きく影響する)を決めるには構造設計者による建築主へのインフォームドコンセントも必要だが、地震国に住む日本人の考えを啓蒙することが最も大事なのである。












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